韓国
第1節 韓国のフツーな人々

秋田県民は韓国からの渡来人!?

大雪の降りしきる2月中旬、秋田に出掛けた。マジックの公演があったのだが、出演したイベントは、その名も「ハタハタ・マジック・コン親会」。なんじゃそのネーミングは?と誰もが不思議に思いそうなコレ、実は筆者が名付け親という事になっていて、名付け親ならば来て貰わなければ、という事でご招待戴いた。

さて、前夜祭があるから前日から来てたんせ(ください)と言われ、その日の午後、晴天の名古屋の空の下、秋田へ飛び立った。大雪のため、秋田空港に着陸できるか否かという危機的状況だったにもかかわらず、どういう訳か、奇跡的に定刻通り、雪のしっかり降り積もった秋田空港の滑走路に降り立つ事ができた。

はてさて、お迎えは秋田犬の牽く橇(!)、宿はかまくら(!!)、と聞いていたのだが、生憎手配が間に合わなかったそうで(!!!)、敢えなく普通のガソリン車&ホテル泊まりと相成った。が、前夜祭では秋田らしさ炸裂。ハタハタ料理、きりたんぽ鍋、とんぶりに海鮮鍋などなど、次々と秋田らしい品が運び込まれた。うわぁ、スゴイおもてなし、ワシらは一体何様?と勘違いしそうなほど…。なんだか初っ端から秋田の人々の暖かさに触れた気がした。

肝心のイベントの方も大盛況。主催者曰く「大宴会」という名の、たった4時間の小規模なイベントだったにもかかわらず、出だしから終盤のゲストショーまで盛り上がりっぱなし。お客さんの大半はマジシャンではない一般の方々だったのだけど、皆、集中して見てくれていたようで、普通はマニアックな大会でしか反応が来ないマニアックな現象にも「ほほぅ」と頷くナマの声が聞こえてきたり、小さな現象にもいちいち盛大な拍手が来たり。お客さんの反応が手に取るように伝わってきて、こちらも非常にやりやすかった。実を言うと、ハンドリングがスムーズに流れないなど、技術的にはイマイチな出来だったのだけど、そういう事が精神的な負担にならないほど素晴らしいウケ方をしていた。日本にはあるまじきこのノリの良さ…。

イベント終了後は2次会、3次会へと突き進み、更なるおもてなしの嵐。「おもてなしは秋田の県民性」なのだとか。翌日はスタッフが極寒の男鹿半島へなまはげ探しツアーまでしてくださった。時間の都合で生憎ナマなまはげは見られなかったのだが、なんと、秋田空港でナマなまはげに出くわした。その上、空港前庭には秋田名物かまくらと、犬っ子の雪像が。う~ん、交通機関の運休は辛いけど、やはり秋田らしいこの時期に来られて良かったよ。

ノリの良さといい、もてなし好きなところといい、秋田は韓国と似たところがある気がした。そう言えば、「日本語によく似た言葉」を喋っていたりするしなァ…。

大袈裟ではなく、秋田弁にはいわゆる「標準語」と全く語感の異なる言葉がいくつもあるようだ。県外の人が来ると、大部分の人は「標準語」で対応してくださるのだが、秋田県人同士の会話は秋田弁。たまに漏れ聞く言葉には殆ど理解不能の言葉もあったりする。

交通手段が発達していなかった時代、「流行り言葉」が地方へ伝わる速度は年に1、2キロくらいだったとか。そんな風にじわじわと当時の一番イカす言葉が伝わっていった訳で、それは即ち、現在地方で話されている方言の中には、古い時代の京言葉が未だに生きている、という事になる。言葉と同じく、昔の人々のんびりしたところや人々の暖かさが秋田にはまだ残っているのかも。

韓国語を学習していて不思議に思っていた事がある。文法はお互い驚くほど似ているというのに、日本語と韓国語の固有語(漢字語ではなく、朝鮮語固有の言葉。日本語の大和言葉にあたる)の語感があまりにも違うのだ。両語は同じ語族と分類されているけれど、そういう相違から、実はルーツは全然違うのではないか、とする学者もいるらしい。が、秋田弁の中の「標準語」とあまりに異なる語彙の存在を知って、筆者は咄嗟に悟った。「同じ日本語でも、こんなにも語感の異なる方言があるんだから韓国語と日本語も語感の違いくらいでルーツが異なるとする必要はないのではないか」と。

そんなこんなで秋田遠征に於いて、なんだか強引に韓国に思いを馳せていた次第である。

秋田は東北の中でもとりわけ陸の孤島じみたところがあるようだが、かと言ってそれで卑屈になるでもなく、中央に迎合するでもなく、秋田の文化に誇りを持ちつつ、人々は実にマイペースである。遠い昔に日本にやって来た半島からの渡来人が、日本文化のソフトな形質に融合しつつ、且つ「陸の孤島」の壁に守られながら、彼らの元々の形質残しつつ、今日まで来たのかもしれない、なんてふと思ったが、まァ、考え過ぎな話だろう。