韓国

第4節 韓国語あれこれ

日本語が通じる

筆者にアジア旅行の経験があまりない事も原因の1つなのだけれど、これまで、海外に出て自分の方が言語的有利な立場に立つなんて事は有り得なかった。言語的有利な立場とは、つまり、海外で自分の母国語が日本人以外の人々によって、我々に向かって話されているという状況だ。

初めて韓国を訪れた時は、滞在期間が短く、そして英語を話す韓国人の友人と絶えず一緒にいたため、日本語を聞き、話す機会は皆無だった。ところが、最近は1人で行動する機会が多い。空港で案内板を見ていると、「何処へ行くの?」と、日本語で話し掛けてくる人、バスを待っている間、「日本人ですか?」と声をかけてくる、明らかに日本語会話練習が目的の人、市場でボンヤリしていようものなら、「海苔買わない?」と客引きの嵐。ホテルでは、フロントは勿論、ポーターまでもがかなり日本語を理解してくれる。韓国語のできる後輩Nが「公衆電話は何処ですか?」と韓国語で訊ねても、「あちらでございます」と、丁寧な日本語が返ってくる始末。また、同席した韓国人も日本語を勉強中の人が多く、拙いながらも一生懸命日本語で話し掛けてきてくれたのだった。殆ど不自由なく会話ができる人も何人かいたくらいだ。

韓国では高校から第二外国語として英語以外の語学が必修である事が多く、日本語が選択肢の1つになっているらしい。会話は無理でも、ある程度文章が作れたり、平仮名が読めたりする人は案外多い。大きな書店には日本語教材や日本語書物のコーナーが必ずある(日本語漫画コーナーはかなり大きいぞ!)。欧米における日本文化・日本語に関する無知・無関心・勘違いぶりとは雲泥の差なのである。歴史的背景があるとはいえ、これだけ日本に対する関心が大きいのに、映画・音楽などの音声付日本語文化には、つい最近まで規制があったのは不思議だ。

しかし、一見喜ばしい事であろうこの状況に、筆者はなんとなく居心地の悪さを感じていた。1つは、外国語を話す事の不自由さを、自分自身が知っている事が原因だ。思うように表現できないもどかしさ、聴き取りが完璧ではない事への苛立ち、というものを、外国語を介する時には常々感じていた。そんな経験から、韓国の人々と日本語で話す時は、この言葉は知っているだろうか、こういう表現は理解して貰えるだろうか、このくらいの速さで聴き取って貰えるだろうかと、常に気を使いながら話す事になる。

また、もう1つは、韓国語、日本語とも敬語が存在する事だ。韓国語は敬語使いの基準が日本語より厳密で、目上の人に対する喋り方には気を付けなければならない。歳が近くても、誕生日が先の人には敬語を使うそうだ。そんな訳で、韓国人の間では年齢を訊ねても失礼にはあたらないらしい(韓国映画「猟奇的な彼女」の中で、主人公が彼女に誕生日を訊き、「僕の方が年上だから敬語を使うように」、と諭す場面がある。凶暴なキャラの彼女には「だから?」といった感じで一蹴されるが…)。

勿論、韓国語ができない外国人にはそれほどの厳密さは求められないものの、「日本語ができる韓国人」との日本語会話は、まず丁寧語で始まる事になる。彼らの方も母国語で丁寧語を話す素地ができている訳だから、丁寧語会話は至ってスムーズに進行し、くだけた口調に転ずる事もなく(くだけ口調は恐らく習わないのであろう)、日本語で話している限り、いつまで経ってもなんだかヨソヨソしい感じが続いてしまうような気がするのだ。

筆者が初めに親しく接した韓国人は、英語が話せる人達だったので、会話は英語でなされ、言語の性質上、そこには敬語は介在しなかった。彼らも無闇矢鱈と年齢を訊かなかった気がする。また、英語も双方大体同じくらいヘタクソで、母国語が似通っているだけあって、文法や語彙の間違い具合もなんだか共通点がある。上手く表現できない事があっても、ぶつ切りに発する単語から相手の言いたい事をおおよそ推察する事もできた。英語で会話をする場合は、言語的立場は限りなく平等に近かったのだ。

が、日本語で会話をする場合、母国語である日本語は、日本人の方が流暢に操れる事は必至の事実であり、言語的有利な立場はいつまで経っても覆らない。相手も丁寧語を喋る事をやめない。ある程度日本語のできる韓国人とは、同じ韓国人でありながら、英語圏で知り合った人とは異なる関係が構築されていくような気がする。付き合いが長くなるに従って、それは変わっていくのかもしれないが。

「体験してみたいけど無理な願望」というのが筆者にはいくつかあって、その1つは「日本語が母国語の国を外国人として旅行する」事だ。いわゆる、イギリス人がアメリカやオーストラリアを旅行するといった状況である。韓国ではそれに近い体験ができたけれど、やはり、日本語は彼らの母国語ではない。遠慮しいしい話すのでは、願望には程遠い。「世界中の人間が英語を理解する」と思い込んでいる英語国民よろしく大きな顔をして日本語を話せるほど神経が太かったら、もっとこの状況を楽しめるのかもしれないけれど。