韓国
第1節 韓国のフツーな人々

カナダには良い韓国人と悪い韓国人しかいない

韓国人の存在を身近に意識したのは、カナダに行った時だったのだが、実はこの時の韓国人の印象はあまり良いものではなかった。

最初に「親しく」なった相手が悪過ぎた。彼女はクラスメイトの「ジュリア」。ジュリア・ロバーツに似ているという事だったが、似ているのは髪形くらいだったか。田舎の三流語学学校に来ている韓国人にしては英語の発音はまァまァ良く、英語の知識もあるようだったが、それを鼻にかけているような所があった。自分よりレベルの低いクラスメイトに合わせるという事は全くせず、パートナーを置いてどんどん先へ進んでしまう。見かねたカナダ人教師が彼女に注意を促すほどだった。

筆者は何故か初っ端から彼女に「目を付けられ」、即ち「友達として」擦り寄られてしまい、彼女はちゃっかり筆者のいたホームステイ先の後釜に居座ってしまった。ステイ先での彼女の評判はなんだかあまり良くなかったのだが。

親の金でのうのうと海外留学している大層なご身分なのに、彼女の口癖は「I envy you(アナタが羨ましい)」。筆者自身は彼女の立場を羨ましいとも思わなかったが、筆者が当時していた努力(自分で滞在資金を作り、滞在先を探し、行く末を決める)を彼女が少しでもしていたかというとそんな事は全くなく、その上、筆者よりはどう見たって裕福な環境にいたのだから、彼女がその言葉を口にする資格などなかったと思うのだが。

筆者自身が迷惑を被った訳ではなかったが、カナダに於いて、韓国人のマナーの悪さに辟易したという話はよく聞いた。一緒に飲みに行っても彼らの方が明らかに大量に飲み食いしているのに割り勘にしようとする、車をシェアして旅行したものの、彼らの方が自分勝手な事を言い出して金銭的なトラブルが発生した、同じアパートに住んでいる韓国人の子供がやかましい、職場の韓国人オーナーにセクハラまがいの事をされた、などなど。留学生のコーディネータをしている知人は、斡旋した韓国人学生の生活態度がだらしなくて、ホームステイ先から苦情を受けたそうだ(だらしないのは日本人の留学生の中にも大量にいたそうだが…。)

ジュリアを除き、筆者の周りにはそれほど嫌な人はいなかったが、とりわけ魅力的な人もいなかった。唯一、向かいの家にステイしていた女の子だけが「凄く良い人」で、カナダを離れてからもずっと付き合っている。先日は結婚式にまで参列させて貰った。

移民計画実行中の筆者の友人、Yちゃんによれば、

「カナダにいる韓国人は『凄く良い人』か『凄く悪い人』しかいなくて、『普通の人』がいないのよ!」

そ、それは言い過ぎだと思うが…。

因みに、移民申請の点数を稼ぐため、彼女はセクハラ韓国人オーナーのいる職場にごく短期間だけ戻る事を決めたそうだ。「セクハラか、移民か」を秤にかけた結果だという…。いいのか?

Yちゃんの言い分は極端とは言え、ある意味真実と言えなくもない。韓国本国に行って本物の韓国人と交流を持った時、「なんかカナダで会った人達と違う」と感じたものだった。それはNY留学で多くの韓国人との付き合いがあった別の友人も言っていた。彼女の場合、NYで会ったのと同じ人達と韓国で会ったので、即ち同じ人物の「二面性」を目の当たりにした事になる。

本国で会う韓国人は、とにかく世話好き、もてなし好き、客人にはなかなか御代を払わせてくれず、割り勘なんてとんでもない。時にこちらのバス代、地下鉄代まで払ってくれてしまう。客人にはとかく親切な国民なのだろうか。

筆者がカナダで会った韓国人の多くは、親が金を払って海外留学している学生が殆ど。それなりに一生懸命勉強してはいたが、彼らの中には甘えや驕りが見られる事も少なくなかった。そんな背景が「悪い人(嫌な人)」と言われる所以になっているのかもしれない。しかし、同じようなバックグラウンドを持ちながら、向かいの家にいた友人のように大変人柄が良い人もいた。実際、Yちゃんが親しくしている韓国人は「凄く良い人」ばかりらしい。

カナダというのは移民や外国人に寛容で、中途半端にぬるぬると居心地が良い。本国でなんとなく食いっぱぐれた人が住み着いてしまっているケースも多い。そのせいか、良い意味でも悪い意味でも変な(個性的な?)異邦人が多い。従って、単純に「良い人」「悪い人」の二極に分け易い人柄構成となっているのかもしれない。これは何も韓国人に限らない。本国にいてなんとなく満足できてしまっている幸せな「普通の人」は、故郷を離れてまで、わざわざこんな所にやって来たりしないのよ。て言うか、Yちゃん、そこに移民しようとしているアナタ自身も既に危ない人だよ…。

さて、今の所、韓国本国では彼らの悪い面を見ないで済んでいる。カナダでは見なかった良い面と、そして日本人とよく似た気質、日本人の大部分が既に失った美しい気質を発見し、むしろ彼らに対する親しみを増している。しかし、筆者の面前では起こっていない事柄を漏れ聞いた所によると、当然の事ながら、日本やその他の世界でも起こっている、いがみ合い、仲違い、仲間割れもあるようだ。旅行者として訪れる限りは、今後もそういった事を直接目にする機会はないのかもしれないが。

「韓国人はこういう人」とステレオタイプな捕らえ方をするのではなく、普遍的な「ひと」としての付き合いを、今後も続けていけたら、と思っている。