ドイツ
第1節 ドイツでの初仕事

ドイツ語でマジック

さて、ドイツ語会話の締めは、なんとドイツ人を相手にドイツ語でマジックをした事である。筆者はステージ・マジックのパフォーマーで、今回はそのパフォーマンスのために出掛けて行ったのだが(音楽にあわせて演技するだけなので、喋りは不要)、ドイツに出掛ける2週間ほど前になって、イベント主催者のSvenから、

「君、自分のやる事わかってるよね。ステージ・ショー6回と、マジック・ディナーでのクロースアップ(※1)・ショー2回だよ!」と言われたのだ!にゃにぃぃぃ!!!前半はともかく、後半のお話は、なんですかソレ!!!聞いてません!!!断じて!!!

マジック・ディナーとは、1週間にわたるイベントの一環であり、ディナーの合間にマジシャン達が客のテーブルをマジックを見せて回るものだ。これはテーブル・ホッピングと呼ばれている演技の一形式である。1人で十数回にわたって数分程度の演技をする事になり、まるでマジックのマラソンである。

ところが。

筆者がクロースアップ・マジックを人前で演じた経験と言ったら、学生時代に老人ホームで半分惚けたような老人相手に手順とも言えないような代物を見せた事とか、ある程度ネタを知っている後輩達の前で白けた手品をやったくらいで、ソレもかれこれ10年以上前の事。プロフェッショナル・クロースアップ・マジシャンとして働いた事はおろか、テーブル・ホッピングの経験なんて…まさに皆無!!!

悪い、話した事あると思うけど、アタシャ、クロースアップ・マジックが苦手で、と言うか嫌いで、ここ10年ほどまともに人に見せた事ないのよ。悪いけど他をあたって頂戴、とお断り申し上げたのだが、まー、相手と来たらお気楽なもんで、

「いいじゃん、楽しいからやろうよ。何でもいいからナンか持ってきてちょ。大丈夫!悪いようにはしないから!!!」

あまりにもあっけらかんとしていて、断り切る隙がまるでない。現地で何とか逃げ切れないものかと思いながらも、取り敢えず相手の期待に答える格好は保って適当な道具だけは携帯し、少々胃を痛めながらドイツへ旅立ったのだ。

現地に着いたら着いたで、「マジック・ディナーの事だけどね」とジェントルな笑顔で切り出され、結局言葉巧みに丸め込まれてしまったのである。

あぁぁ…。

さて、普段クロースアップなどしないものだから、衣装からネタ場からまともな準備はしていない。一応、正式なディナーの場なので、みすぼらしい格好をして行く訳にもいかない。幸いイブニングドレスは持っていたので、それに合う髪形を作るためのヘアピース、ネックレス、ネタ場として使うウエストバッグ(ハンドバッグを腰に結わえただけじゃ!)を現地の商店街で調達。占めて20ユーロ。我ながら手早い買い物であった。

はてさて、肝心のマジック・ディナー、はっきり言って、通常のステージ演技より余程緊張した。しかし、Svenのジェントルな笑顔は伊達ではなく、テーブルホップ初心者の筆者がやり易い雰囲気のテーブルを探してくれたり、他の人より多めに休憩を取らせてくれたり(まァ、筆者以外の人は1テーブルでも多くやりたくてうずうずしているからこれは問題ない)、常に気を使ってくれた。筆者なんぞいない方が余程やりやすかったろうに、「みんなで楽しもう」というイベントの趣旨の1つを等分に分け与えられるよう、気を配っていてくれたのだ。その懐の広さに頭が下がる。

パフォーマンスは、大方は英語で行った。中年くらいまでの人なら大抵は理解できるのだ。しかし英語だって筆者にとっちゃ外国語だ。なかなか困難なお仕事である事は否めない。それでも回数をこなすうちに度胸もついてきて、ドイツ語を話せない事をギャグにする事さえできてきた。お客の皆さんも、アジア人だからとバカにする事もなく、実に温かい笑顔で迎えてくれた。

ところが。

調子に乗ってきたところ、な~んと、老夫婦2人のテーブルにあたってしまった。なんかヤバイかも、と思ったところ、案の定「Sprechen Sie English?(英語話しますか)」の問いに、「Nein(いいえ)」とにべもない答え。

こ、これは…しかし、やるしかない!

知っている単語(主に数字)を総動員し、わからんところは英語で誤魔化し、とにかく何かを喋り続けながらこなしきった。幸い、マジックの現象にインパクトがあったようで、言葉はさほど重要ではなかったようだ。お2人は心から驚いて楽しんでくれていた様子。別の日に他の老夫婦や子供を相手にした事もあったが、何とか首尾良く行えた。終わった後で、「今の人、英語わかんなかったんだ」と仲間に言ったら、「騒々しい会場だと僕らも同じ様なもんさ」と、身振り手振りだけで伝える様子を面白おかしく見せてくれた。

それにしても、ドイツ語で(?)クロースアップ・マジックをやって金を稼いだ日本人なんてそうそういるもんじゃなかろうよ。Sven、得難い経験をどうも有り難う。君がジェントルな笑顔で無理矢理押し切ってくれなかったら、アタシャ決してやろうとはしなかっただろう。マジで心から感謝している。

※1:クロースアップ・マジック
観客のごく近くで見せるマジックの事。テーブル・マジックとも呼ばれる。