ドイツ
第2節 ドイツ語圏でシゴト

グラーツで会ったヘンな日本人 その1

今回の出張旅行で筆者が初めに赴いた地は、オーストリア第2の都市、グラーツ。あのシュワちゃんの故郷であるが、昨年末に死刑制度に関する意見の食い違いが生じ、グラーツ市とシュワちゃんは絶縁状態であるらしい。かつてはグラーツ市から名誉市民の称号も賜っていたらしいのに。…という話は帰国してから知った。

第2の都市とは言っても、街の中心地も周辺も実にのどか。山に囲まれた静かな街で、高層ビルなど一軒も建っていない。そんなのどかなグラーツを愛して40年と言う、日本人のオバちゃんに出会った。

筆者が泊まっていたのは、街の中心部近くの質素な中級ホテル。が、受付スタッフの感じがよく、居心地は決して悪くなかった。このホテルのちょっと田舎臭い雰囲気がかえって件のオバちゃんの気に染むところとなり、彼女のグラーツ滞在時の常宿だったワケである。

ある朝、筆者が朝食をとっていると、日本人らしいご夫婦が食堂に入ってきた。お互い日本人であると咄嗟に察知し、軽く会釈を交わしたのだが、筆者が出て行く段に、オバちゃんの方が話しかけてきた。小柄で可愛らしい雰囲気の方だったが、それが、まー、よく喋ること喋ること。対するご主人の方は、「口を挟む隙がない」といった風で、半ば諦め気味におっとり構えていた。

筆者は一旦部屋へ戻ったのだが、仕事先へ出かけるために再びロビーに下りると、ちょうどご夫婦は出発の準備中だった。このホテルが気に入っているのだが、本日以降は満室で取れなかったため、駅前のホテルに移ってもう2-3日滞在するとの事。

ご主人はオーストリアまでやってきたというのに1人で部屋にこもって数独をやっているとか、(数独は今ドイツ語圏で流行っているそうな。そして、ドイツ語圏の人々はコレが日本でも「爆発的」に流行っていると信じている)グラーツ在住の知人に、水仙祭りに連れて行かれるんだけど実は行きたくなくてどうやって断ろうかとか、娘とザルツブルクで待ち合わせするんだけど、彼女はオーストリアみたいな田舎は嫌いで、イタリアで遊んでから仕方なくやってくるのだとか、グラーツの見所はこんなところだとか、あんなところだとか、まー、実に早口でまくし立ててくれた。が、けっしてそれは耳障りな話し方ではなく、筆者は時間が経つのも忘れて聴き入ってしまったのだった。

なかなか楽しいオバちゃんで、このまま別れるのも惜しかったので、滞在中に時間があれば駅前のホテルの方に訪ねていきます、と言い残し、その日はその場を離れたのだった。

そして。

2-3日経って、仕事が終わった日、筆者は仕事先で配られたマクドナルドのハンバーガー引換券を持って駅前まで出かけた。淋しい話であるが、これがその日の夕食である(オーストリアまで来て (;´Д`))。オバちゃんの言っていたホテルは遠目からもすぐに確認できたので、ハンバーガーを食らってから、いるかどうか訪ねてみようと思ったその矢先。ホテルの前に、いるではないか、オバちゃん(とご主人)。ちょうど外出先から帰ってきたところだと言う。なんという絶妙なタイミング。じゃあ、ハンバーガーを食べた後にホテルのロビーでお茶でもしましょう、という事になり、筆者は一路、マクドナルドへ向かう。30分後にロビーで会うことになっていたのだが、オバちゃん、せっかちなのか、マクドナルドまで迎えに来てくれる。そしてグラーツの観光ガイド日本語版と、重要な?見所を記入済みのドイツ語版を筆者に譲ってくれたのであった。筆者が食べ終わるのを待つ間も、オバちゃん、喋りまくり…。

ホテルのロビーへ戻り、ご主人も加わって座を囲むも、やはりオバちゃんの独壇場。ご主人、隙を見計らって口を挟むも、オバちゃんの100分の1くらいしか会話に参加できない。筆者も同様…。そして、話の中で、オバちゃん、実は大阪の出身だと言うことが判明する。そうかー、大阪のオバちゃんだったのか!と、妙にその出自に納得してしまう。

ところで、ヨーロッパの夏は夜が遅い。もう9時になろうとしていたが、ようやく夕暮れが始まったくらい。そして、路面電車の通るメインストリートや、ホテルのある中心街は決して物騒な場所ではない。が、オバちゃんは夕暮れが迫るや、途端に筆者の帰り道を心配しだした。

「あの辺りはあんまり治安が良くないから、明るいうちに帰らなきゃ!」

筆者は仕事のあった4日間、夜中の12時過ぎに仕事場からホテルまでの15分ほどの道のりを1人で歩いて帰っていたのだが…勿論油断は禁物ではあるが、さほど危険な雰囲気でもなかった気がする。が、オバちゃんは更に追い討ちをかける。

「アタシも昨日、あの通りでヘンな人にからまれたのよ!怖かった!この辺の人も薄情になっちゃって、昔なら大声出せばすぐに誰かが助けてくれたのに、今は皆知らんぷりするのよ!!!」

そ、そうなんだ…。

でもって、オバちゃん、歩いて帰るのは危険だから、必ず路面電車に乗って行くこと!と駄目押しする。そして、1回乗車分の小銭まで筆者の手に握らせようとするのだ。「イエ、そんな、電車賃くらい大丈夫ですから」と言っても聞かない。

「小銭を探してモタモタしていると置いていかれちゃうから、用意しておかなきゃ!さ!じゃあ、乗り場まで送っていきましょうか!」

乗り場って、歩いて1分もかからない所なんですけど…ていうか、もう少しゆっくりしたいんですけど…しかし、もう、オバちゃんのペースには逆らえない。乗り場に着いたら着いたで、電光掲示板を見て「ほら!3分後に来るわ!」と、微に入り細に入り、世話を焼きまくる。それでいて鬱陶しくないのがフシギだ…羨ましいお人柄である。

電車に筆者を押し込んだ後も、やはり彼女の口は回りっぱなし。運転手から切符を買う時にはオバちゃんの話しを聴き取るのに意識を削がれ、ついお金を置く位置を間違えて運転手にイヤ~な顔をされる始末。しみじみとした別れの挨拶もままならぬまま、筆者は強制送還されてしまったのである。

んで、よく考えたらオバちゃんの連絡先を訊きそびれてしまった。訊きたかったのに訊く間が全くなかったのである。相手には筆者の名刺を渡してあるので、まー、連絡をくれれば幸いであるが。