カナダ
第5節 こーゆートコロが困るんだ

刃物の話

欧米の刃物は切れ味が悪い。どれくらい悪いかというと、テレフォン・ショッピングで切れない包丁の見本として「あ~ら、これではトマトが潰れてしまいますね」と言われてしまっているものとまさに同じくらい悪い。そしてコレが全ての家庭に於いての標準仕様なのである。最もマシだったのが、料理上手のゲイカップルの所の料理用ナイフだったが、それだって、種類が色々とあるわりにはどれもこれもイマイチだったのだ。という訳で、ちょっと長く海外に出掛け、自炊をする可能性のある時は、筆者はマイ包丁を持参する。調理をする度にトマトも切れないような刃物と格闘していてはストレスが溜まって仕方がないのだ。

カナダのホームステイ先で夕食を作る事があって、この時当然、自分の包丁を使った。それを見ていたこの家の小生意気な娘が、どうしてウチのナイフを使わないのかと訊いてきた。筆者にとっちゃ、そんな理由は火を見るより明らかなのだが、生まれてこの方切れ味の良い刃物など見た事も使った事もない彼女にとっては、我が家のモノの上を行く刃物の存在など想像した事さえない訳で、別のモノをわざわざ取り出して使うという行為自体が奇っ怪だったのだろう。だって切れ味が良くないからね、と当たり前の事を言っても、信じようともしない。それどころか、「そんなハズはない、ナイフ入れには砥石がついているから、常に切れ味が良い状態になっている筈だ」とのたまうのだ。しかし、筆者にしてみれば、この標準装備の「砥石」こそが曲者だ。これはカナダの大抵の台所に置いてある物で、入口に砥石が付いており、確かに、ナイフを出し入れする度に包丁が研がれる事になっている。しかし。このナイフ入れがある家庭で切れ味のよろしい刃物に出会った事は今だかつて1度もない。実のところ、出す時はともかく、入れる時はなんだか無理な力がかかっている感じがする。この簡易砥石が原因で、かえって切れ味が悪くなっているのではないかとさえ思えるのだ。

ところで、自慢の日本製鋼包丁も、使っているうちにだんだん切れ味は落ちてくる。日本製砥石で研ぎたいところだが、さすがに砥石までは持参しなかった。ダメもとで居候先のお爺さんに、包丁を研ぎたいんだけど、と話をしてみたら、砥石を持っていると言う。彼の家には例の簡易砥石付きナイフ入れはなかった。しかし、だからと言って(?)彼のウチの包丁の切れ味が良い訳でもない。あまり期待はしていなかったものの、案の定、彼が取り出した物はカロリーメイトを縦に1.5本繋ぎ合わせたくらいの大きさの、細長~い砥石だった。ま、こんな細い物でウチの大きな牛刀を研ぐのはあまり理想的な話ではない。そして、彼がこうやって使うんだよ、と見せてくれたのは、なにやらオイルをたらし、そして刃物を砥石に擦り付ける研ぎ方だった。う~む、これはますます日本製鋼包丁に適した方法ではなさそうだ…。「コレがカナダのオイルストーンさ」と、自慢げに彼は言った。が、折角のところ申し訳ないが、カナダのオイルストーンの使用は辞退した。

因みに、彼のウチの調理用ナイフはというと、刃側の真ん中が大きく背側にへこんでいる。即ち、刃面がまっすぐではなく、波打っているのだ。コレは恐らく、このオイルストーンで真ん中だけ研ぎ続けた結果なのではないかと思われる。

ところが、5年後に彼の家を訪れた時、驚いた事に彼は見事な和包丁を握っていた。彼の所には何故だか日本人の居候が度々出入りしているので、そのうちの1人が置いていったものか、あるいは波打ちナイフに業を煮やして彼にプレゼントしたのかもしれない。

また別の話だが、別の居候先のオバさんと一緒に、ワンタンを作った事がある。前の旦那に習ったという、彼女の得意料理の1つである。ワンタンと言えば、作業はみじん切りに集約される。そして、彼女のウチのナイフも、カナダの家庭の例に漏れず、ストレスの溜まる代物である。感じ悪いかもしれない、と思いつつも、作業効率をアップさせる方が先決だろうと考え、自分の包丁を取り出して手伝う事にした。そして、事実、作業効率は彼女の数倍以上であった。因みにこの時持っていたのは、小型のペティナイフである。本割込みと言って、外側はステンレスだが刃の部分は本鋼の刃物で、切れ味はそこそこ良く、手入れが楽だ。海外へ出掛けるのに巨大な牛刀を持ち歩くのもナンだし、小型包丁が前から欲しかったので、購入したばかりだった(勿論日本で)。オバさんは感心したようにこの包丁を見つめ、それは高かったの?と訊いてきた。刃物市での特売品だったが、たかが小さなナイフごときの値段ではなく、決して安い買い物ではなかった。しかし、使い勝手は良く、払っただけの価値はある。そう言うと、「そうよね、元旦那もそう言ってたわ。料理に良く切れる刃物は重要だから、そのためにお金を払う価値はあるって。」そんな薀蓄を傾ける事のできる彼の家になら和包丁並みの良質ナイフがあるのかも~、と思ったが、確かめる術はなかった。

欧米の刃物が何故こんなに切れないかというと、そもそも刃の作りが和包丁とは異なるそうだ。日本の刃物は刃先がまっすぐなのだが、欧米のものはのこぎりのようにギザギザで、つまりがしがし押し引きして切り裂くのが前提なのだとか。きちんと調べた訳ではないので、筆者自身、本当かいな?という気分なのだが。欧米の一流料理店のシェフなんかは一体どうしているんだろうね?欧米の料理というのは、良く切れる包丁を使う必要がないのだろうか?「日本から刃物を取り寄せているって話だよ」という適当な話も聞いた事もあるが、これだってなんだか怪しいものだ。最近聞いた驚くべきお話は、ドイツのとある有名メーカーのよ~く切れる高級ステンレス包丁は、岐阜県の関市で作っているという事である。いやはや、日本の刃物作りの技術は世界一って事か。