カナダ

第3節 アメリカ人とカナダ人

恐怖の国境越え?

2002年7月2日の早朝、つまり夜半過ぎ、カナダの田舎町からバスを乗り継いでシアトルへ向い、そこからサンディエゴに飛んだ。カナダから陸路でアメリカに入国する場合、色々面倒な事があるという噂を聞いていたので、幾分ドキドキしていたのだが、なんという事もなくすんなり通る事ができた。

入国カードに「果物などを持っている場合は申告せよ」とあり、バスのドライバーもそんな事を早口で怒鳴るようにまくしたてていた。筆者はその時、昼食用に桃とりんごを持っていたので申告したのだが、「一応見る」という程度で、何も恐ろしい事はおこらなかった。実にあっけない国境越え。しかし、ダークホースは別の所にいた。

サンディエゴに着いて数日間は、イベント参加のため何処にも出掛けなかったが、これが終わった翌日、国境の街、メキシコのティファナに行く事にした。イベント期間中に既にこの街を訪れていた知人が、汚いし危険だから行かない方が良いと言ってきた。観光客がわんさか訪れる所なのだから、言うほどでもないだろうし、こんな国境近くまで来ていながら訪れないでいられるものではない。

ある日の午後、ちょうど良く時間があいたので、サンディエゴのダウンタウンから走るトロリーに乗って国境に向かった。メキシコに近づくにつれて風景が殺伐としてきて、乗客もスペイン語を話す人が多くなる。しかし、街角の看板はまだ英語のままだ。トロリー終着駅からはバスでティファナのダウンタウンに向かった。徒歩でも行ける筈だが、トロリーを降りるとちょうどバスが停車していたので、それで行く事にしたのだ。

所要時間は10分ほど。はて、何処が国境だったの?というくらいあっけない。パスポートコントロールさえ通らなかった。緩い丘を埋め尽くす、埃っぽい色の家々と、その中ほどに、やたら大きいメキシコ国旗が翻っている。アメリカに対して見せ付けているような感じがした。

帰り方を確認するためにバスの運転手と話したのだが、彼は英語を話せなかった。スペイン語の単語を並べて何とか確認し、よーし、いよいよスペイン語会話力の腕試しと勢い込んだものの、これ以降、スペイン語しか話せない人には出会わなかった。観光都市だけあって、観光客相手の英語ぐらいは小売店のオバさんだって話すのだ。

ところで、知人の語ったメキシコの印象はあまりに大袈裟過ぎた。綺麗で安全な日本とは雲泥の差はあるが、メキシコの国家的背景を考えれば筆者の想像の範囲内の状況でしかなかった。下水が臭かろうが物乞いがたむろしていようが、それはメキシコの現実だ。その知人は、おおよそツアーガイドに大袈裟な情報を吹き込まれでもしたのだろう。安穏な日本人観光客にはそれぐらい危機感を持たせた方が良いのかもしれないが。

さて、ダウンタウンからぶらぶらと歩いて行ったところ、徒歩で越えられるルートが見つかった。帰りは歩いて行くのも良いだろうと思い、標識に従って国境に向かったのだが、その付近には長蛇の列。パスポートコントロールの前に並ぶ人々だった。まともに行ったら2、3時間はかかりそうだった。そして車道も乗用車で埋め尽くされていた。7月4日がアメリカの独立記念日で、人によっては長い連休になっていたせいかもしれない。列に並ぶのは億劫だったので、またバスの発着所に戻る事にした。路線バスなら別ルートを通るため、早く抜けられると思ったのだ。

そう、確かに別ルートを通った。それも遥か遠くの…。運転手が早口で何か説明していたが、どうやらあまりに渋滞が激しいので、別のゲートから国境を越えるという事らしかった。メキシコの町の中を東へ走る事およそ30分、ティファナ飛行場の先のゲートに到着した。辿り着くのには恐ろしく時間がかかったものの、パスポートにさっと目を通すだけで難なく通過を許された。この後手洗いに行ったのだが、側にいたアメリカ人の女の子が「わーい、トイレに扉がある」と喜んでいた。そうか、メキシコのトイレのドアは壊れているのか。見学しておくべきだった…。因みに、モスクワ空港に降りた事があるのだが、ここのトイレはドアだけでなく、結構イロイロ大変だった。

そんなこんなで、トロリーの終着駅に着いた頃にはすっかり日も暮れていた。後で地元の人にこの話をしたら、「あそこの国境を越えるのには10分、または3時間かかるからね」と言っていた。国境の渋滞は、結構、日常茶飯事なのだろうか。