アメリカ人に目からウロコ

アメリカ人のステレオタイプ

アメリカ滞在中、大学で日本語を学んでいるアメリカ人の青年と話す機会があって、「あなたにとってのアメリカ人のステレオタイプは?」と(英語で)訊かれた。その場ではポジティブな面とネガティブな面を一つずつ、「フレンドリーである事」「アメリカ人である事に無闇に誇りを持ち過ぎである事」というのを挙げておいた。他に思い付く事といえば、「肥満体」「英語以外話さない」「他国文化に理解がない」「味覚音痴」「星条旗に対して過剰に騒ぎ立てる」など、総じてネガティブな事の方が多い。

何処の国でも同じだが、個々に付き合えば良い人もいるのに、アメリカ人は世界各国で著しく評判が悪い。アメリカ人だというだけであからさまに意地悪される事もあるそうだ。ところが似たような国民性でありながら(※)、「カナダ人」であると宣言すると、途端に態度が変わるという。知り合いのカナダ人がドイツに行って猟銃を借りた時、どうも照準がずれているようだった。貸主は彼の事をアメリカ人と思っていたらしく、わざと照準をずらしておいたのだ。ところが、たまたま何かの拍子に彼がカナダ人である事がわかると、すぐに「照準の合った銃」と取り替えてくれたそうだ。アメリカ人が嫌いでも、カナダ人にはポジティブな感情を抱いている人は多いらしい。確かに、アメリカの空気に時折見られる傲慢さは、カナダにはない。また先程の青年によれば、カナダ人に対してアメリカ優位を見せ付けるような傾向は確かにあるそうで、そういった部分で他の国の人がカナダ人に共感を覚えるのかもしれない。世界でもっとも富める国、アメリカ。それを他の国からは「羨望」の目で捉えられていると思っているアメリカ人は多いと思う。だが、そのように考える傲慢さや、贅沢過ぎるその文化に蔑みの視線も向けられている事をもっと自覚するべきだろう。

ところで筆者自身は、それまでアメリカに行った事はあったものの、アメリカ人と個人的に親しく付き合う機会はなかった。先に挙げたステレオタイプは、アメリカ関連の記事を見たり聞いたりした事、そしてアメリカを訪れた際に自身が体験した事から捻りだした事柄である。勿論全ての人がこれに当てはまるとは思っていなかったが、「当てはまらない人」と膝を交えて話す機会がなかったので、アメリカ人はこんなもの、という概念は固定されたままだった。

※カナダ人は「我々はアメリカ人なんかと全然違うんだぜ」と思っているよう。確かに違うと感じるところは結構あるが、「全然」ではない。「生のブロッコリーを不味いとも思わずに齧る」ところなんかは殆ど同じナショナリティである。北米人とヨーロッパ人、はたまたアジア人と西洋人の違いに比べれば、違いなどないも同然だ、というのは言い過ぎだろうか。

アメリカの若者達

二〇〇二年夏、イベント出演のため、ミシガン州のコロンという町を訪れた。先の日本語科の学生ともこの時に会ったのだが、彼は肥満体でもなく、「他国文化に興味があり」、将来は日本語を生かしたビジネスをしたいと思っているという。日本語のレベルはと言うと、まだまだ筆者の英語の方が随分マシ、すなわち筆者との会話の全ては英語でしてしまったという程度でしかなかったが。彼は筆者の挙げたネガティブなステレオタイプを素直に受け取ってくれ、確かにそういうところはある、と頷いていた。外国文化を学んでいるだけあって、自国の事も客観的に見られるようになっているのだろう。

別の若者は、アメリカ人の肥満傾向を嘆いていて、「僕はそんな不健康な食生活はしないのさ」と、デザートにローファットヨーグルトを食べながら言っていた。その日の昼食はホットドッグとコカコーラという、不健康極まりない食事だったが、「今日は特別」という事だった。体型を見てもそれは嘘ではないと思われた。彼はシカゴ在住で、シカゴでは豆腐が安いため、結構頻繁に食べているそうだ。

また、筆者を送り迎えしてくれた別のアメリカ人学生は、拙いながらも用が足りる程度に英会話をする我々日本人を見て、「一応学校で他の外国語を習ったけど、僕は英語しか喋れないんだ」と、ちょっと恥ずかしそうにしていた。こんな謙虚な若者もいるならアメリカ人も捨てたもんじゃない、とちょっと嬉しくなった。

英語が世界で最も広く使われる言語のため、英語圏の人々は特に興味がなければ他の言語を学ぶ必要はない。それはそれで良いのだが、時たま「アンタ、こんな英語もわかんないの?」と、まるで英語だけが世界の言語であり、それができないアンタはアタシより劣る奴、といった物言いをする人がいて、非常にイヤ~な気分になる事がある。しかし「アンタこそ英語しか喋れないマヌケ野郎じゃん」と思っても、英語圏では負け犬の遠吠えにしかならないのだ。

目からウロコなアメリカ人夫妻

イベントは、ホテルもB&Bもない小さな町で行われたため、参加者はキャンピングカーで来たり、テントで野営したり。町に知り合いがいればホームステイさせて貰えば良い。筆者は主催側の世話でステイ先をあてがって貰っていた。筆者をこのイベントにゲストパフォーマーとして紹介してくれた日本人のご夫婦と、十代の頃からこのイベントに参加しているという中年のオジさんも同じ家に泊まっていた。

この家のご夫婦は、普段は車で一時間ほど離れたもっと大きな街に住んでおり、泊めて戴いた所は別荘のようだった。築百年くらいだというレンガ造りの家で、内装はビクトリア調。煙突が三本付いていて、それぞれ屋内の暖炉に通じていた。裏庭は大きな湖に面しており、それを堰き止める小さなダムが脇にあって、溢れ出た水が静かな水音をさせている。

まずご主人に会ったのだが、彼は早々に日本語の教本を取り出してきた。本だけでは発音がわからない、これはどう発音するのか、これで発音は正しいか、日本と西洋の生活で違うところは何か、日本人はお辞儀をするというが、どういう時にお辞儀をするのか。また、我々日本人ゲストの名前を、聴き取った音を元に平仮名で書き取りしたものを見せて、これで正しいかどうか、など、日本語、日本文化について矢継ぎ早に質問が始まった。我々の受け入れが決まったのはほんの二週間前の事だったらしいが、すぐに日本に関する本を三冊買い込んで、我々が到着する前に目を通していたそうだ。後で奥さんが「あなた達はお客様なんだから当然の事」と言っていたが、こんなにこちらの文化の事に興味を示してくれる外国人に会ったのは初めてで、とても嬉しかった。

また、普段はどういう本を読むかと訊ねてきて、「自分は色々な知識を吸収したいからノンフィクションを読む。語学にも興味がある」と言っていた。つい最近も、大学の成人コースに通って色々な語学を学んだそうだ。彼は七十一歳で、現役を半分引退したドクターだった。ロシア語・ドイツ語は昔から結構自由に話せるようで、なんと冷戦時代にソ連に行った事があるそうだ。筆者が大学の第二外国語でロシア語をやっていた事を告げると、「殆ど覚えていないけどね」と言っておいたにもかかわらず、滞在中、ロシア語の文章を投げかけられる事が度々あり、「それなんて意味?」といちいち訊かなければならなかった。

こんな様子を見て、一緒に滞在していた日本人夫婦の奥さんが、「アメリカ人なのに珍しいわね」と言った。確かに、アメリカ人にしては珍しい他国文化への興味の貪欲さ。ドクターの奥さんも、あちこち旅行する度に少しずつ覚えていったため、語学が得意なようだった。しかし、それを鼻にかける事もなく、また、こちらがあまり英語が上手でない事をバカにする様子は微塵もなく、それどころか実にゆっくり、クリアに、一説一説区切って、わかりやすく話してくれた(ミシガン州の人は全体的に「遅口」な気がしたが)。

家の周りにはよく手入れされた庭があった。奥さんの趣味の一つがガーデニングで、居間のテーブルの上には風水を取り入れたガーデニングの本や、日本庭園の写真集が置いてあった。そして、彼女は実によく働く。歳は六十近いというのに、見掛けは大変若々しい。筆者の滞在中、日中はずっと庭の手入れに費やしていた。雑草を抜き取ったり、ウッドチップを撒いたり、力のいるハードな仕事だ。殆ど動いてもいないのに「今日はよく働いてとっても疲れたから早く寝なきゃ」と言いながらだらだらテレビを見ているカナダ人としばらく一緒にいただけに、「北米人でもこんな人がいるのね!」と、彼らに対して持っていた悪いイメージがポロリポロリと剥がれ落ちていった。

ところで、北米在住経験者の間でよく話題になるのが、アメリカの料理の不味さである。スーパーで売っている食材は、種類も量も豊富で味も良いのに、どうしたらこうも不味く加工できるんだろう?と首を傾げたくなるほど不思議に不味い。ホテルのパーティー料理でも、今ひとつ美味しい物を味わったという感動が得られないのだ。だからそれを知っている人はエスニック料理を食べに行く。こういう店はたいてい移民が経営しているから、本場の味に劣らない料理を味わえる。中華料理は日本で食べるエセ中華の比ではない。

アメリカの家庭料理についてはどうだろう。少なくともカナダの家庭料理で「美味過ぎて最高!」というものには出会った事はなかった。アメリカの家庭料理を実際に味わった事はなかったが、筆者の中ではカナダもアメリカも食文化についてはそう変わらないという事になっているので、特に何かを期待してはいなかった。
ある日、夜中近くにその日のイベントが終わって帰って来ると、シチューの残りがあるから食べる?と言われ、何も期待せずに戴いたら、その美味しい事!肉が柔らかく煮込まれ、色々な野菜がたっぷり入っていて、味付けも極上!後から帰ってきた日本人のご夫婦も、お腹一杯だから少しだけ、と言いつつも、盛られた一皿をつるっと平らげてしまった。

そして滞在期間最後の晩。奥さんは、その前日が日本人の奥さんの誕生日だったという話を聞くと、アメリカ南部料理のディナーを用意してくれたのだ。チキンのトマトソース煮、生野菜の塩水浸し、ハムの出汁がよく出た野菜たっぷりのスープ、スコーンに似たパイ生地様のパンの蜂蜜添え、完熟トマトのスライス、滅茶苦茶甘いスイートコーン、新鮮なイチゴ、そして締めはちょっと甘めのチョコレート風味のスポンジケーキ。どれもこれもすこぶる美味かった。「アメリカ料理」に対する認識を改めねばなるまい!また、ゲストをもてなすという奥さんの気持ちが余計に食事を美味しく感じさせたのかもしれない。筆者は食べ過ぎと思うほど、たらふく戴いてしまった。誕生日だったご本人は家庭の主婦であるため、こんな風に豪華な料理で祝って貰う機会はなかなかなかったに違いない。筆者と同じくおいしい、おいしいと連発し、薦められた皿につい手を出して余計に食べてしまったようだ。

イベントが終わってから帰りの電車に乗るまでに一日間があって、シカゴ観光でもするつもりでいたのだが、たった一日だけのために知らない土地に移って宿探しをするのが億劫だったし、何よりもこのご夫婦ともっと一緒に過ごしたいと思ったので、本宅の方に一泊させて貰う事にした。ご主人の方のお母さんも交えて夕食を食べに行ったのだが、このお婆さんは九十五歳だというのに肌がつるつるで、かくしゃくとしており、口も達者、人をからかうのが大好きなようだった。アメリカ映画にちょうどこんな感じのおばあさんが出てくるよね、と、奥さんに話したら、「そうなのよ、彼女はとっても個性的なの」と、姑の事を褒めちぎっていた。

列車の旅は二泊三日で、車内で買う食事は高いので、予めいくらか食物を持ち込んでおく。その準備のために
ご主人にスーパーマーケットへ連れて行って貰った。潰れ難いフルーツと、ベーグル、クッキーなどをカゴに入れていると、チーズはどうだ、これは美味いからぜひ持っていくようにと色々世話を焼いてくれた。挙句の果てには「自分からのプレゼントだから」と言って、筆者の持っていたカゴを自分のカートの中に入れてしまった。その中には二パック買うと安くなるクッキーが入っており、一つはこのご夫婦にあげるつもりでいた。家に帰ってから「あなたが買ってくれてしまったけど」と言ってそのクッキーを渡すと、「そうやって考えてくれた事が大事なんだよ」と言って受け取ってくれた。

その夜はドイツの黒ビールで最後の晩酌をしたのだが、その時に、アメリカの地図を買うのを忘れていた事を思い出した。電車の旅ではゆっくりと景色が流れるため、現在地を地図で確認できたら面白いと思い、帰路につく前に列車のルートが含まれる範囲の地図を買うつもりだったのだが、イベントの最中はすっかりその事を忘れていた(て言うか、まともな本屋もないような町だったが)。翌日の出発は朝十時過ぎだったので、書店に寄っている時間もあまりないだろうなァと、諦めていた。

翌朝、奥さんとコーヒーを飲んでから列車の駅にやって来ると、仕事の区切りをつけたご主人も見送りに来てくれていた。そして差し出されたのが、アメリカ北西地域の地図。前日の夜、何気なく話した事をちゃんと気に留めていてくれたのだ。

英語にthoughtfulという単語があるが、読んで字の如く、「思い遣りのある」という意味だ。お世話になったカナダ人の知人にお礼の葉書を出したら、「thoughtfulな手紙を有り難う」とお礼を返され、そこでこの言葉と出会った。

この時の旅が楽しかったのは、ひとえにこのご夫婦の存在によるところが大きい。彼らがとてもthoughtfulで、どうしたら我々ゲストが喜ぶか、常に考えていてくれたからだ。彼らのようなアメリカ人と知り合えた事を幸運に思う。