あ、間違えちゃった…~イラク戦争『誤爆』騒動の恐ろしい結末

世界中で多くの人が「この戦争はなんだかヘンだ」と感じていたに違いない。真面目に経緯を観察しさえすれば、子供でさえヘンな事がわかるようだ。開戦の大分前から各地で抗議行動がなされ、開戦後もそれは続いた。こんな大きな反戦行動が世界各地で繰り広げられたのは、恐らく初めてではないか。この事は「まともに考えてとにかくヘンだ」という事を著実に物語っている気がする。

筆者に馴染みのあるカナダでも、アメリカと国境線を一本挟んだだけの隣国なのに、一般市民のデモやら、政府見解としての反対表明やら、反戦ムードが大いに盛り上がっていたという。とかく「北米」と、アメリカと一括りにされがちなカナダなのだが、こういうところを見ると、確かに米国とは一線を隔している。

ところで、数々の事の経緯を差し置いても、筆者がどうしても納得できないのは、「誤爆」という現実に起こっている出来事だ。民間人だろうが軍事関係者だろうが無闇に殺傷する事自体どうかしているが、それにしても、攻撃側が一応「殺す事を前提としていない」民間人を「間違って殺しちゃいました」って、一体そりゃなんだ?「お前らの国を民主化してやる」と、お節介もいいトコの大義名分を掲げた偽善者に「間違って」殺されてしまった彼らと、その家族、親戚、友人、知人の無念さは一体どんなものだろう?米国政府はこれを自国の兵士の命と同様、「尊い犠牲」とでも美化した表現で飾り立てるのだろうが、冗談じゃない。これは「あってはならない犠牲」でしかない。実際のところ、彼らはイラク国民の命など「屁」とも思っていないのではないか。現在の米国軍事設備の精度が如何ほどのものかは知らないが、そうそう頻繁に「誤爆」を起こすほどお粗末なのだろうか。機器の精度というよりは、米国側の「屁」とも思わない気持ちがこういった「誤爆」を引き起こしているような気がしてならない。アメリカ合衆国の「誤爆」騒動は今に始まった話ではないからだ。

この頃のアメリカ国民は何かというと「九月十一日」を持ち出してくる。テレビのインタビューで、ある米国一般市民が、戦争について反対意見が持ち上がっている事さえ愚かである、とでもいうように、「九月十一日の事を考えてみなさいよ!」と、ヒステリックにわめいていた。「そういう事」をされたら仕返しとして理不尽な軍事行動で報復するのはアリって訳ですか。まるで子供の喧嘩だ。報復以前に、あの事件とイラクの関係性さえかなりこじつけっぽいが。米国の行動は、「九月十一日」と本質的に大した違いはない。恐らく、あのテロも、起こした側にとっては「正義」だったのかも知れない。そして米国が掲げているものも「正義」なのだ。

日本政府は「軍事行動支持」を表明してしまったけれど、面白い事に、これは米国側ではたいして重要視されていなかった。一般市民はもとより、政府高官でさえ、日本政府がそういう立場を取る事にした、という事実さえ知らないらしい。

元々アメリカ人なんてのは「ウチが一番」と思っている人が多いから、反対意見を述べられればムッとして存在を意識するが、付和雷同する小国の存在など気にも留めない。イエスマンでいるうちは目立たずにいられる。日本政府がそういう立場を取ったとしても今更驚きゃしないが、ある意味、小狡く立ち回っていると言ったところか。

ニュースなどを見ていると、こういった日本政府の態度を「北朝鮮の脅威」と絡めている意見もあるけれど、いざという時に果たして米国が日本に何をしてくれるのか、著しく疑問である。せいぜい「あ、間違えちゃった」とかい言って、日本に爆撃をかけちゃったりするのが落ちかもしれない。