電車の旅で折紙教室

前述のミシガン州訪問の際、アメリカの長距離鉄道アムトラックを利用した。列車は三日間、延々と平原を走り続ける。ともすれば退屈この上ない。そんな事は百も承知で乗り込んでいたのだが、意外に飽きる事はなかった。暇つぶしのため、また訪問先へのお土産作りに、と持ってきた折り紙を取り出したのは、最終日の三日目になってからだった。

日本人なら一度は見た事があるかもしれない、ドリアンのような形をした折り紙のボールを作っていたのだが、これはピースの組み合わせ方によって様々な形ができる。球形の物ならば、小さいのが十二個、大きいのが三十個で作られる。ピース自体は単純な平行四辺形をしているので、これを作っている分には何も目立った事をしているようには見えない。作業中、やかましい子供達が何度も筆者の座席の横を通って行ったが、誰も気に留めようともしなかった。筆者は子供が苦手なのでこれ幸いであった。

ところが。

たまたま横を通った一人旅の日本人女性が、興味深そうに覗き込んできた。それは何?と訊かれたので、こういう風にボールになるんですよ、と、既に折り上がったピースを組み立てて見せてあげた。すると、電車の中で友達になったアメリカ人にあげたいから作り方を教えて、と頼まれて、折り紙教室が始まった。彼女は日本人なので、「折り紙の基本」はできており、その点ではカナダ人やアメリカ人に教えるのより随分楽だった。「折り紙の基本」というのは「角や辺を合わせて綺麗に折る」「一度折り目を付けた所を開いてからまた折り直す」「折り方を覚える」という事である。こんな単純な事もできんのか!!!と初めは心底驚いたのだが、彼らにはこれは不可能に近い至難の業なのだった。

ところで、日本人が二人、なにやら立体的でカラフルな物を作っている。これが目立たない訳がない。我々の周りにはあっという間に子供が群がり、地獄のような状況になった。初めは一人二人だったので、気軽にほいほい作っては渡していたのだが、貰った子供がそれを自慢して回り、噂を聞いた別の子供がワシにもくれろとこちらを訪ね当てて来てしまうのだ。そのうち、無謀にも作り方を教えろと言ってくるのが現れた。

やめておけば良かった。

一人に教えれば、十人に教えなきゃならんのだ。また、コツさえつかめばピースを組むのは大して難しくもないのだが、初心者の、しかも「殊更不器用なアメリカの子供」の手に負えるものではない。一見「教えて」いるように見えて、実は殆ど筆者が彼らの「自作」ボールの組み立てを行っていた。彼らの介入なしに自分一人で作った方がよっぽど楽である。実際、彼らは信じられないほど不器用で、ピース自体を満足な形に折れないのだ。無様な部品で作ったボールは触れるだけで壊れるような脆い物になる。その上、子供は集中力がないので、他の事に気を取られるとその脆い物が脆い事やその存在自体を忘れてしまう。「壊れたから直して」と何度もやって来る不注意でマヌケな子供が続出した。

また、彼らの好きな色の紙をそれぞれ選ばせたのだが、こんな所にも国民性と言うか趣味の悪さと言うか、そんなものが垣間見られて面白かった。北米の子供は派手な色の組み合わせが好きなようで、十二ピース全て違う色を選ぶ。しかも原色系。出来上がりの調和など考えもせずに、殆ど本能のままに一見無作為抽出。ある子供など、きらきら光るホイルペーパーを見つけ、「これステキ!」と言ったかと思うと、十二枚、全て色違いのホイルペーパーを選び出した。出来上がった物はかなりグロかったが、本人は「Oh! SO COOL!」と、かなりご満悦なようだった。

そんなこんなで、列車の旅の終盤はかなり疲労が溜まってしまった。筆者のそんな様子を見て、「あなたを疲れさせたくないからアタシはもういいわ」と、涙の出るようなカワイイ事を言ってくれる思い遣りのある子もいるかと思えば、そんな事何処吹く風、「アタシはもう一個欲しいの!」とごねるガキ、次の駅で降りるから早く作ってよ、と自分の都合だけで急かすクソガキなど、まァ、子供も様々であった。面白いと言えば面白い。もうたくさんだ、と言えばホントにその通りだ。

「これより大きいのは作れないの?」と、恐ろしい事を訊いてくる子供もいたが、一人一人にまた三十ピース分の講習をするかと思うとその凄まじさは火を見るより明らかだったので、「作れるけどね、疲れたからもう教えてあげない」と、きっぱり断った。