カナダ
第3節 アメリカ人とカナダ人

恐怖の国境越え?再び

シアトルの北にEverettという街があるのだが、そこで小さなマジックのイベントがあり、サプライズ・ゲストとしてこっそり呼ばれた筆者は、同じくマジシャンのルームメイトにも出掛ける事を告げず、主催者と親しい別の知人と一緒に、イベントの1日前にEverettに乗り込んだ。

これまでに飛行機、バスの国境越えを経験してきた筆者だが、「マイカーで国境越え」は未経験だった。国際免許は持っていたものの、カナダでは殆ど運転をしなかったので、まさかそれをする事になろうとは思ってもいなかった(この時の運転手は勿論カナダ人の知人の方)。

BC州だけでもいくつかゲートがあり、この時行きに通ったのは一番海岸寄りのルートだった。いつもと景色が違うので、これはバスのルートと違うのか、と訊いたら、その通りだった。国境に平和記念公園のようなものがあって、国境線上にピースアーチという白い塔が立っている。だだっ広い芝生が広がっており、そこには柵もゲートもない。人々は簡単に国境線を跨ぐ事ができるが、どちらから来た人がどちらへ向かったか、ちゃんと監視されているそうだ。

その日は快晴に近く、海も綺麗に見えた。それと金曜日の午後という事もあって、国境付近は大渋滞だった。のろのろ運転が続いたので、我々は色々とくだらない世間話をしていた(筆者はもっぱら聞く方だったが)。国境付近のアメリカ側にデニーズがあり、「あそこで食事をする事があるんだけど」と知人が切り出した。デニーズではサービス券を発行しており、カナダでもアメリカでも特に区別して印刷していないそうである。同じドルという単位でも、米ドルの方が圧倒的に強いので、カナダで貰ったサービス券をアメリカで使うとちょっぴりお得な訳である。そんな事をするカナダ人は、筆者の知人も含めてぼちぼちいるらしい。ところが、デニーズ側もそれを知ってはいるのだが、不利益を被るほど多く行われている訳ではないので、目をつぶっているという。むしろそれによってお客が増えるなら、喜ばしい事だというのだ。

そんなこんなでようやくゲートにに辿り着いた。各レーンに計4台のカメラが設置され、車を前後から監視する。ドラッグや怪しい化学物質を検知するための装置もついている。たとえ車のボディーの間に隠してあっても、これでわかるそうだ。そして係官が通過する車を一台一台止め、同乗者全員のIDをチェックする。北米人がここを通る場合は、免許証など写真付きのIDを見せればOKだが、外国人はパスポートを提示しなくてはならない。筆者は3ヶ月以内にアメリカ入りしていたので、既に入国許可証を持っていた。バスで通過する時はいつも、これ以外に入国カードも書いていたのだが、この時はそれもなく、2、3の質問をされただけで車に乗ったまま通過する事ができた。係官の気分によってはオフィスに入れられて、これを書かされる場合もあるそうだ。

翌日イベントにやってきた筆者のルームメイトは、「朝起きたらいなかったから、僕よりうんと早く出掛けたのかと思った」と言っていた。筆者が出掛けた日、彼は朝8時前に仕事に出掛け、筆者は9時頃まで自室でぐうたらしていたから、顔を合わせる機会がなかったのだ。夜は夜で、お互いプライバシーには干渉しないので、筆者が不在でもあまり気にしない。大方もう寝てしまったとでも思ったのだろう。また、サプライズ・ゲストなだけあって、秘密は身内にも漏らされていなかったらしい。彼は筆者がイベントに出演するとは思ってもいなかったそうだ。

帰りはこのルームメイトと、彼の友人と一緒に帰る事になった。その友人を送り届ける都合で、いつもバスで通るのと同じゲートを通って行った。真夜中近いだけあって、国境付近は渋滞もしておらず、高々2時間ばかりでバンクーバーエリアに着いてしまった。

ゲートの通過は行きよりも更に簡単だった。まず、カナダ人の男性2人はIDの提示さえしなかった。ともすれば筆者もパスポートなしで通過できそうなくらいのものであったが、さすがにカナダ人男性2人とアジア人女性1人の組み合わせは一般的ではないので、係官は「彼女は北米の市民権を持っているか?」と、筆者にではなく、彼らに訊いた。「い~や、彼女は日本人で、僕らより1日早くアメリカに来てたんだ。」とカナダ人2人して、訊かれてもいない事までべらべら喋っていた。「彼女は既にカナダにいたんだな?」と、また彼らに向かって質問。「うん、僕と同じ家に住んでるのさ。」と、ルームメイトが言った。係官は筆者のパスポートにさっと目を通し、すぐに返してよこした。

よく考えたらこの時筆者は一言も発していなかったのだった。饒舌なカナダ人に守られた、無言の国境越えなのであった。

こんなに簡単に越えられる国境なら、むしろなくしてしまった方が楽なのに、と、外国人の筆者は考える。しかし、我々には見えない壁が、カナダとアメリカの間にはあるという。壁は、ベルリンの壁のように、なくそうと努力すればなくなるものかもしれない。が、今のところ両国にその気は全くない様だ。