言語が作る人間関係

英語を学んだ事がある方ならご存知のように、この言語には日本語や韓国語のように厳密な敬語表現はない。また、他のヨーロッパ言語にあるような、二人称の敬称・親称すらない。カナダ以外の英国連邦の国々ではどうかわからないが、多分、このおかげで世代間の壁が日本におけるより薄く感じられるのだ。出会ってすぐの人で、たとえ年齢が大きく離れていても、同級生に話すのと同じように親しく口を聞く事ができる。

日本に於いては、少し親しくなった人でもかなり目上の人ならば、つい敬語で話してしまう。話される方も常識として恐らくそういった事を期待している場合もあるだろう。そういう状態が続くと、いつまでたっても「友達」というには語弊があるような気がするのだ。こういう関係を説明する時には「知人」という事にしているが、日本人の「知人」との関係を外国人に説明する場合、英語だとacquaintanceと長い単語になるため、つい面倒でfriendと言ってしまうけれど。しかしカナダ人の場合、日本でいう「知人」レベルの関係でも、会話の仕方で言えば友人と呼んで差し支えない感じである。

日本にはない関係だと思って一つ気付いたのは、大人が自分の子供の友人と、実に親しく付き合っている事である。「今からピザを持って遊びに行くわ!」なんて事を言って、子供の友人が、彼女自身がいなくても、友人の母親と楽しそうにおしゃべりをして帰っていく。彼女たちの付き合いの長さは二、三年程度だと思われる。また、七月までお世話になっていたお宅のお母さんは筆者の母親にもなれるような年齢であるが、友人と言っても差し支えないほど親しく接してくれている。

日本でもこういった関係を持っている方々はいるのかもしれないが、少なくとも筆者は友人の親とこのように親しく喋った事はない。たまに話す機会があっても、話し方や社会通念が壁を作って彼らほどオープンにはなれなかったと思う。

敬語の話と反対の内容になるが、日本では、立場が強いからと言って、年齢が上だからと言って、はたまた自分が男だからと言って無闇やたらに高圧的に出る人を見かける。そういう人達は、やけに人を見下した話し方をするのだ。違反切符を切る警察官や、お役所の職員にもそういう方々は多い。カナダでは、ある程度教育を受けた人なら、(たとえ何を思っていたにしても)まずそういった差別的な態度は取らないし、口の聞き方、話し方はあくまで対等だ。言語の違いも勿論あるが、移民を広く受け入れてきた文化的背景も関係しているのかもしれない。