韓国
第7節 おもてなし大国

群山ツアー

さて、翌日は群山ツアー。

午後2時に全州まで先方が迎えにきてくれることになっていたので、ソレまでに急いで(!)全州観光を済ます。結局ジブン的に全州を楽しめたのはこの間だけだった(^_^;)

2時という時間もビミョーなのだけど、前日の公演で先方が疲れていたこと、また、疲れていたにも関わらず打ち上げはしっかりやっていたのであろうことが理由であると思われる。韓国人は総じて朝が遅く、今までに午前中に待ち合わせ時間を設定して承諾されたことは1度もない。

さて、全州から群山まで車でおよそ1時間。果たして、観光とはいっても、冬は暗くなるのが早いし…あまりイロイロできないよね???(^_^;)

そして、待ち合わせが2時なので、私は当然お昼ゴハンを済ませていたのだけど…
「ゴハン食べました?」と訊かれて食べた、と答えると、明らかに意表を突かれたような様子。

韓国人のゴハン時間の認識が如何様なのか、私には未だに掴めません(^_^;)

相手が明らかにお腹が空いていそうな様子だったので、じゃー、どこかで軽く食べましょう、と提案すると、自分ちの近所のパン屋さんに連れて行ってくれた。そのパン屋さんはもともと日本人が始めたもので、日本人が戦後引き上げる時に韓国人が業務を引き継いでずっと経営してきたそうだ。韓国で一番古いパン屋さんなんだとか。店の中で買ったものを食べられるカフェのスタイルであるのも韓国では珍しいのだとか。(ソウルにはそういう店はあった気がするけどな?)

で、私はコーヒーの1杯でも飲めれば良かったんだけど、お持ち帰り用のパンと、ミルクシェイクを買ってくださいました(^_^;)

ぅ…。砂糖抜きのコーヒーを飲みたかった…。(韓国では砂糖のたっぷり入った無料のミルクコーヒーがそこかしこで飲めるが、ブラックは稀)

ココに、前日の公演の裏方さんたちが合流。ん?なんかコレも聞いていないぞ???(^_^;) まーいいけど(^_^;)(^_^;)(^_^;)

さて、いよいよ群山ツアー開始です!

初めに訪れたのは、広津邸という日本家屋。日帝時代にこの街で暮らしていた日本人が建てたもので、現在は博物館として保存されている。事前に「ヒロスハウス」っていうんだけど、何か典型的な建築様式の名前なのか?と尋ねられ、ハテ?と首を捻る私。が、何のことはない、韓国語に「づ」という音がないので、代わりに「す」と表記されていただけで、ヒトの名前だったワケなのだ。

また、「外から見ると複数の家があるようにみえるんだけど、中に入るとひとつの家なんですよ。日本ではソレが普通なんですか?」と訊かれ、甚だ意味が理解できなかった私。現物を目の前にして言っていることがようやくわかったのだけど、すなわち、玄関部分と、母屋の中ほどと、奥の部分のそれぞれの棟の上に寄棟や入母屋の屋根が乗せられて複雑に組み合わさっており、これが韓国人には独立した棟が集まっているように見えるらしいのだ。その子をして「イリュージョンハウス」と言わしめるほどにフシギな作りだと感じるようなのだけど、日本家屋の建築様式としてはなんら珍しいところもないモノ。

群山市の広津邸の門
群山市の広津邸の門

中に入ったら入ったで、昭和の時代にはフツーに見られたような、古きよき時代のごくフツーの家。板張りの廊下や欄間、床の間や壁に空いた丸窓等等、本当に典型的な日本家屋。が、韓国人にはそれら全てが珍しいらしく。「ん〜、なんかフシギな感じがする〜」と感慨深げ。外壁にうろこ状に貼られた木の板を見ては「こういうのもなんかフシギ〜」

庭園のある縁側に回ると、雨戸の戸袋があったので「ここに窓のカバーが入っていて、夜になると閉めて、朝になるとココにしまうの」と説明すると「ほぉ〜〜〜〜!」と一同から感心したような声が上がった(^_^;)(^_^;)(^_^;)

家屋そのものはフツーすぎて、日本人の私にはなんら興味深いところはなかったのだけど、このようなものが史跡として保存され、それを面白げに眺めるヒトビトがいる、という事実がオモシロかった。

この建物は「タチャ」という映画の撮影にも使われたそうだ。案内してくれた子がしきりに「ヤクジャ(やくざ)が住んでいてこっちの床が高い方に親分が座って、低い方に子分が座った」と言っていたのだけど、おそらくこの映画のことなのではないかと思う。

街中を気をつけて見てみると、確かに古い日本家屋っぽいものがちらほら残っていて、未だに大切に使われている。が、「四角い建物の中に瓦屋根の木造家屋がある」風景は我々にとってはあまりにもフツーのこと過ぎるので、敢えて言われなければ見過ごしてしまいそう。

この近くには韓国国内に唯一残る、日本の建築様式のお寺があって、そこにも案内してもらった。行ってみると、確かに日本のお寺。が、ところどころ韓国風の外装が。
あくまで韓国のお寺として運用されているそうです。暗くて写真を撮れなかったので、こちらのサイトの写真をどうぞ。

この時点で大分暗くなってきたので、日本家屋見学は終了。港の方に、やはり日本人が建造した浮橋の埠頭が残っているそうで、時間があったらそちらにも案内したかった、と残念そうに言う彼。2時に全州出発じゃそもそも難しかったと思うけどね(^_^;)

とはいうものの、ガイドブックに載っているわけでもない、しかし日本に縁の深い町並みを、思いがけず見て歩くことができ、充分堪能できた。

最後にトッカルビなる料理をご馳走してくれた。カルビを骨からはずし、荒く刻んでから餅みたいに固めて焼いた庶民的な料理。決してお金持ちなワケでもないのに、彼なりに精一杯のおもてなしをしてくれたんだなーと、感慨深く思ったのであった。

 

タクシー運転手のお節介に辟易に続く≫